こんにちは!セイジュン@80年代少年デス。春はセンバツから。選抜高校野球も終盤を迎えていますね!2年ぶりの球春です。
2020年のセンバツは中止、夏も交流試合という形で行われましたので、2年ぶりの甲子園高校野球。センバツがまだ観客席・スタンドは入場制限がなされていますが、やはり高校野球はいいですね。
さて、追憶の80年代、高校野球から80年代のある優勝校を振り返ってみます。
86年夏、どこが優勝したか覚えていらっしゃいますか。天理?正解!ですが、もう一校、優勝校があります。私立明青学園!そうです、エース上杉和也。「タッチ」の世界です。
80年代あいうえお辞典。今回は「た」の項、「タッチ」を取り上げます。
1980年代の少年サンデーと、「タッチ」
まずは、1980年代の週刊少年サンデーをみてみましょう。
1980年代の少年サンデーは、高橋留美子先生の『うる星やつら』(1978年)と、あだち充船影の『タッチ』(1981年)のヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。wikiより
当時の週刊少マンガは、「友情・努力・勝利」の王道「ジャンプ」に対して、ちょっと不良っぽさのある「チャンピオン」、ミスマガジンとスポーツものの「マガジン」、そしてラブコメものが充実の「サンデー」といった様相でした。
発行部数では、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンだったころかな。
週刊少年ジャンプ:1982年(昭和57年)3月29日号
週刊少年サンデー:1982年(昭和57年)1月27日号
週刊少年マガジン:1982年(昭和57年)7月27日号
週刊少年チャンピオン:1982年(昭和57年)6月4日号
さて、「タッチ」の連載は、1981年36号から1986年50号までの5年間。物語内の時間の流れはもう少し緩やかで、双子の兄弟である上杉和也と上杉達也、そして幼馴染の浅倉南の3人の主人公にとっては中学3年から高校3年夏までの4年程を描いています。
3人の恋愛模様。和也か達也か。南ちゃんとの三角関係。そして、物語の序盤(全28巻の7巻)で迎える和也の死。
とくに、南ちゃんについては改めて考察したいのですが、今回は、タッチにおける高校野球。
タッチ:3年生最後の夏。地方予選での大勝負
達也、高校3年の夏。最後の夏の地方予選が始まります。
監督との確執を乗り越え、チームの結束もあって、決勝へと進出。相手は、強打者新田明男率いる須見工業高校。この新田君もまたカッコイイんですね。
延長10回の表、明青学園が勝ち越し。そして、10回の裏。
疲労困憊のマウンド上のタッちゃんに対して、2アウトから打席に立つのは新田君。この試合、前の打席で新田君はホームランを放っているんですね。
敬遠もアリの場面、タッちゃんも、そして明青ナインも勝負を選択。
ファウルで粘る新田君との死闘も、最後は空振り三振で幕をおろします。
タッチ:描かれなかった甲子園
さあ、いよいよ甲子園。
そしてその前には、恋愛漫画としての「タッチ」で最も有名なあのセリフ
「上杉達也は浅倉南を(ピー。自主規制)。世界中のだれよりも」
があって、甲子園の開会式。
しかし、です。
翌週のサンデーを見ると、秋風のなか、タッちゃんと南がのんきに散歩。
そしてこれも有名な最後のコマ。
甲子園を描かないまま、物語が閉じます。
「巨人の星」のような熱血スポ根ものが王道だった60年代後半から70年代前半。
地方予選はもちろん、甲子園で全国のライバルたちとの勝負を描いた「ドカベン」(1972年~1981年)。
作品の優劣ではなく、甲子園での熱戦を描かなかった「タッチ」。
それぞれが、作者の美学を詰め込んだ作品なんだと思います。
そうそうそう。80年代 高校野球については80年代あいうえお辞典「け」の項で扱いました。
お時間ありましたら。
では、次回の80年代あいうえお辞典、「ち」の項で。