も:モニカ【もにか】

80年代

 

こんにちは!セイジュン@80年代少年(@39Seijun)です。

80年代あいうえお辞典、今回は「も」の項。吉川晃司さんのデビュー曲について振り返ってみましょう。

前回に続いて今回も楽曲タイトルの頭文字シリーズ、吉川晃司さんのデビューシングル「モニカ」です。

発売は1984年2月1日。本稿作成時点(2023年3月)で39年前のことです。

 

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吉川晃司、デビュー!

当時の男性アイドルの勢力図は、金八先生(1979年)で爆発的に人気の出た「たのきんトリオ」の田原俊彦さんが1980年6月、近藤真彦さんが1980年12月にデビュー。

仙八先生(1981年)から出たシブがき隊が1982年にデビューと、ジャニーズ事務所の面々が花盛り。

ジャニーズ以外も、なんとなくトシちゃんかマッチに類型化されるタイプの方が多い状況でした。

 

そんな中、水球で鍛えた逆三角形のでかいガタイをスタイリッシュなスーツに包んで現れた吉川晃司さんには、女子だけでなく男子も「あっ!」という驚きをもって魅了されました。

デビュー曲の「モニカ」も、矢沢ファミリーのNOBODYの手によるビートと、三浦徳子さんの「サンクス、サンクス、サンクス、サンクス、モ~ニカ~」というキャッチ―かつセクシーな歌詞で、ロック感満載でした。

シングル発売から2か月後の1984年4月5日、TBSの「ザ・ベストテン」に第7位でランクイン。

吉川さんの地元広島にある母校修道高校のプールサイド(というか特設ステージ)からの中継で、唄い終わりにプールにむけてバク転ダイブというド派手な登場でした。

 

個人的には、その3か月後。1984年7月22日に、ライブで目撃しています。

当時、RCサクセションの夏の野外、冬の武道館に通っていたのですが、この夏の野外が西武球場でした。まだ屋根のついていない時代の西武球場です。

メインはRCサクセションだったのですが、今でいうフェスといった感じで、何組か出ていた中で、オープニングアクトが吉川晃司さんでした。

昼間の炎天下のステージで、若くて駆けずり回ってたなあ。子供バンドのうじきさんがゲストギタリストで参加していたと記憶しています。

ちなみに、その後は小山卓治さんがストレートロックをきめて。

そうそう、The ROKKETSとして、鮎川誠さんも出てました。「シーナは、産休で~す」って言ってめんたいロック聴かせてくれました。そして、Rサクセション!いかんいかん。横道にそれ過ぎました。

 

民川裕司と哀川陽司

さて、吉川晃司さんといえば、ご紹介したい〇川〇司が2に人います。民川裕司と哀川陽司です。

まずは、民川裕司

レコードデビューとほぼ同じくして、「すかんぴんウォーク」でも銀幕デビューは果たします。銀幕デビューというのも懐かしい言い回しですが、まさにその言葉が似あうスター感がありました。

「すかんぴんウォーク」の監督は故大森一樹さん。2022年秋に逝去されたのですが、当時30歳そこそこながら当時の若手映画監督集団である通称「ディレカン」(ディレクターズカンパニー)の一員でした。

高校生になった僕らは、池袋や吉祥寺にあった二番館でオールナイトで敢行された「ディレカン特集」で3本立てとか観たものです。

「すかんぴんウォーク」は吉川晃司さんを思わせる主人公「民川裕司」のサクセスストーリー。

冒頭シーンがホント恰好よかった。東京湾の向こうからバサバサと泳いでくる民川裕司。文字通り、着の身着のままで東京に上陸し、それこそ靴もなくて、靴屋で前客が履き古して置いていった靴をもらうところから、東京での生活が始まります。

この映画では、山田辰夫さんも恰好よかった。。

 

ちなみに、併映がうる星やつらの「ビューティフル・ドリーマー」。なんという豪華さでしょう。

「民川裕司」の物語は、このあとも「ユー・ガッタ・チャンス」「テイク・イット・イージー」と続きました。

 

そして、哀川陽司

1985年に週刊少年サンデーで連載が開始された上條淳士さん作の「TO-Y」

主人公トーイこと藤井冬威を中心とした「音楽」漫画です。今でこそ、バンドやロックなど「音楽」を描く漫画はありますが、「音」を表現した初めての漫画(の一つ)ではなかったでしょうか。

「ジャンプ」ではなく、「サンデー」というところが、らしいですね。「チャンピオン」でも「気分はグルービー」というロックな漫画がありましたが、何気に王道のジャンプではないところに新しい試みがあったのかなと、今になって思います。

 

さて話を戻して。この「TO-Y」に出てくるのが哀川陽司

トーイの先輩にしてライバルでもあり理解者でもあるロックスターですが、これがまあ吉川晃司さんそっくり。

作者の上条さんの茶目っ気なのでしょうが、ギャグキャラクターの味も出ていた哀川陽司は、カッコよかった!

 

 

さて、1984年の吉川晃司さんを振り返ってきました。

その後も「かくし芸大会」で居合抜きしたり、「紅白」でシャンパンぶっ放したり、六本木心中をデュエットしたり、COMPLEXやったり、織田信長やったり、仮面ライダー出たり、東京ドーム満杯にしたり。今でもシンバルキックをしたり、パイロットの教官をやったりしています。

どれも本気でどれもカッコよい。2024年にはデビュー40周年、これからも推していきたいと思います。

では、次回「や」の項で。