こんにちは!セイジュン@80年代少年(@39Seijun)です。80年代あいうえお辞典、久し振りになってしまいましたが、今回は「ゆ」の項です。かつてNHK教育テレビで放送されていた「YOU」について、振り返ってみます。
Eテレと呼ばれる前の級育テレビは、3チャンと呼んでいた
まずはNHKにあった「教育テレビ」というチャンネルから解説しましょう。
1980年代当時、1チャンネルがNHK総合、3チャンネルがNHK教育テレビと言っておりました。
ちなみにBS放送が始まったのが1989年ですから、80年代は大半が地上波の時代だった訳ですね。
現在では教育テレビは「Eテレ」と称し、チャンネルは「2」に割り当てられている場合が多いかと思います。
当時は3チャンネルでした。「3チャン」という呼び方だったご家庭が多いのでは。
YOU
その3チャンで、1982年4月から始まったのが「YOU」です。
土曜日の夜10:30からの1時間の若者向け番組。「若者」という言葉自体が、今ではちょっと古めかしいイメージがついてしまっていますが、実際に収録スタジオに「若者」としか呼びようがない10代から20代の多くの男女が詰めかけ、司会者・その日のゲストと個々のテーマについてやり取りをするという番組でした。
「YOU」の特徴だったのが、その司会者、そして音楽に代表されるポップカルチャー・サブカルチャーについての扱いです。
東京・大阪と制作拠点が、たしか隔週だったと思うのですが、東京版の司会者が糸井重里さん、大阪版が笑福亭鶴瓶師匠でした。
今では「ほぼ日」のイメージが強い糸井さんですが、この当時はまずはコピーライターとして有名でした。本来は裏方業であるコピーライターでありながらテレビ等のマスメディアに出たほぼ最初の人だったのかなという印象です。
例えば、沢田研二さんの「TOKIO」(1980年)の作詞も手がけるなど、「マルチな才能」を有している方でした(この「マルチな才能」というのも今ではちょっと手垢がついた表現ですね)。
釣瓶師匠は、今では関西だけでなく日本を代表するお笑い界のお一人ですが、当時は関西のテレビに出る新作落語家という印象でした。
ラジオのDJや関西ローカルの番組で人気モノだったのでしょうが、まだ全国区という感じでもなかったかなと記憶しています。
また、音楽が坂本龍一さん。1982年当時でいえば、初期のYMOの終盤。83年がアルバム「浮気な僕ら」のリリース年であり、つまりは「君に、胸キュン」の前年にあたります。
YMOとしても番組に登場し、集まった若者たちがキャーキャー言っておりました。
また、教授のオープニングテーマ曲の背景の映像が、大友克洋のイラストでした。「週刊ヤングマガジン」での「AKIRA」の連載が始まるのが1982年の冬でしたので、ちょうどその前夜だったのかな~。個人的には「童夢」で衝撃を受けていたので、その大友さんだ!という印象だったのを覚えています。
番組で語られていたテーマは今となっては忘却の彼方です。司会者・ゲスト、そしてスタジオの若者との間で、インタラクティブな会話・議論が行われており、新鮮だったのは記憶しています。
1983年正月には、ビートたけし、アントニオ猪木が登場。そして、RCサクセションのスタジオライブ。清志郎を猪木が肩車!なんてボーナスも飛び出しました。民放の歌番組のはるか上をいく演出だったなあ、なんてうっすらと記憶しています。
この時、糸井重里35歳、ビートたけし36歳、アントニオ猪木40歳、忌野清志郎32歳。まさに若者たちの神々でした。
80年代あいうえお辞典、「ゆ」の項は、この辺で。次回は「よ」でお届けします。お時間ありましたら、またお付き合い下さい。ではでは。