いくつになっても受験しよう【試験を受ける効用】

ちょっとしたコツ
セイジュン
セイジュン

こんにちは、セイジュン@アラフィフ応援隊(@39Seijun)です。今年1年間でTOEICを2回、受験してきました。たまには試験を受けるというのは良いものだなあと改めて感じました。受験の効用、まとめてみます。

学生時代以来となる英語学習。

ドメスティック企業であったため、仕事で使うことはほぼなく、コロナ前には年1回ほど楽しんでいた海外旅行も、まあ気合で何とかという程度の語学力でした。

FIRE後の一つの柱として「勉強・学習」というのを据えようと思い、その中でもまずは英語の再学習 はRE前の段階で早めに開始しました。

今年はまだ勉強も習慣化できていない状況で、事前学習もないままのTOEIC受験となった訳で、おのずと結果は惨憺たるもの(英語学習については、また改めてまとめます)。

とはいえ、試験を受ける/受験するというものは、それはそれで面白いものだなと思った次第。

ちょっとまとめてみます。

 

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試験・受験というもの

改めておさらいするまでもなく、日本の学生制度では中学入学以降、毎学期ごとに中間・期末試験が行われます。「受験」としても高校受験、大学受験とあって、学生生活は「試験の日々」であったという側面もあります。

他方、社会に出てからは、いわゆる「試験」というものとは疎遠になります。自己啓発・資格試験として自主的・能動的に挑戦しない限り、机にむかって制限時間内に受けるペーパ―テストというものを受ける必要はほぼなくなります。

私個人でいえば、IT業界に長くいたので、情報処理技術者試験は入社来20年近くは受けていました。それも、ほぼ欲しい資格を取得し終わってからは若手の先生役は行えど、受験というものからは遠ざかっていたのが実情です。

ちなみに、情報処理技術者試験は、「合格」している試験区分であっても何度でも受けることは可能です。別に合格しているから受けてはいけないというものではなく、何回でも「合格」することはできますし、何枚でも「合格証」を得ることはできます。

実際、情報処理の講師を仕事にしている友人は肌感覚を鈍らせないように、今でも年2回、試験を受けているようです(立派)。

友人の例は仕事の一環での「受験」ですが、世には資格マニアという方もおり、様々な資格を追いかけて試験・受験を繰り返すという日常をバラエティ番組などでお見掛けすると、あの動機付けは一体なんだろうなあとかねて思っておりました。

それが、今回今回、TOEICを受けてみて、「受験、アリだなあ」と思った次第です。以下、ランダムに効用。

1.学習のチェックポイント・客観的な評価になる

2.他の受験生の刺激を受けることができる

3.集中、緊張を味わえる

4.人のふり見て我がふり直せる

 

学習のチェックポイント・客観的な評価になる

資格試験の場合、ゴールは明確で「合格」です。

そこに向けてとにかく学習を頑張るだけです。また、TOIECのように「合格・不合格」がある訳ではないにせよ、点数が明確になることによって、自分の学習の成果・経過がはっきり分かるのは学習継続において大きな利点です。

受験をする効用の第一点は、学習成果・経過の客観的な評価が出来る点に異論はないでしょう。

 

他の受験生の刺激を受けることができる

資格試験やTOIECなどは日曜に行われることが多いですね。

試験会場には、休みの日にも関わらず、朝早くからしっかり起きて試験開始の一定時間前にはきちんと集合する多くの受験生に出会えます。直前まで参考書を開く人もいるなど、その学習意欲は大いに刺激になります。一言でいえば、

「もっと、僕もがんばらないとなあ」

であり、自分自身も受験される方の、その一因としてシャンとしないとな!とモチベーションを得ることができます。

 

集中、緊張を味わえる

試験開始の合図のあと、終了までの数時間。

実によい緊張感、そして集中力を味わうことができます。

普段は雑念・煩悩があって、常に思考はアッチにいったりコッチにいったりばかりなのですが、このひと時は集中の時間です。

問いに対して答える、という非常にシンプルなことにだけ脳を使えるというのも(ある意味)幸せです。

 

人のふり見て我がふりを直せる

ここから先は、真っ当な効用ではないと思うのですが、実感したので記載します。

試験会場では主催者側の監督官が多数おります。この手の試験も、だいぶカスターマーサービスが向上してきて、昔のように横柄な係員も少なくなってきたのですが、なかには監督官が上、受験者が下、とみる係員もいなくもありません。

あるいは同じ受験生の中でも、そわそわしたり、例えば試験終了後にいち早く帰りたくて割り込んだりと、そういう人も見かけます。

このような人を目の当たりにしても、「なるほど、こういう人もいるよね」と受け流せるのも余裕として持ちたいものです。

試験という特異な状況、見方によっては殺伐とした状況下で、どのようにふるまうかというのはその人の性分、品が出るものですし、人のふり見て我がふりを直せるよい機会ともとらえることができます。

 

以上、試験の効用について整理しました。まだまだあると思いますが、ひとまずこの辺で。個人的には引き続き英語学習とTOEIC受験を連動させていきたいなと思ています。くわえて、年明け、年度明け以降は、簿記・FPなど、財務の初歩的なところは押さえていきたいと考えています。

 

お楽しみはこれからだ、まだまだ学び続けよう、そして試験を受けてみよう。ではまた。