こんにちは!セイジュン@80年代少年(@39Seijun)です。80年代あいうえお辞典、今回は「ふ」の項。阪急ブレーブスの主砲、三冠王のブーマーです。
グレゴリー・デウェイン・ウェルズ。
こう聞いて「ブーマーの本名ですね」と言える人は、よほどの80年代プロ野球好き、阪急ブレーブスのコアなファンだけでしょう。ブーマーは、登録名で「ブームを呼ぶ男」の意味でした。
グレゴリー・デウェイン・”ブーマー”・ウェルズ
1983年に来日。阪急ブレーブスで9年。1992年の一年間ダイエーホークスで仕事をして退団するまでの実勤10年で1,413安打277本塁打。
本当にすごかった「助っ人」です。
入団1年目から5年連続して3割超え、来日2年目の1984年には外国人選手初となる三冠王(打率355、打点130、本塁打37)の座につきました。
その後も1987年に再び打点王、1989年には首位打者と打点王の2冠を獲得しています。
一塁手としても4度のベストナイン、2度のゴールデングラブを獲得しており、攻守とも一流の選手です。
プロ野球珍プレー好プレー大賞の登場シーン
さて、話かわって「プロ野球珍プレー好プレー大賞」です。
うーヤンヘディング事件の項でも書きましたが、プロ野球ニュースの1コーナーだった「珍プレー好プレー」が、独立してゴールデンに進出したのが1983年。
ちょうどブーマーの活躍時期と「珍プレー好プレー」が高い人気を誇っていた時期がシンクロしています。
彼の出番で有名なのがデッドボールにまつわるシーン。
1986年の近鉄バファローズ戦で小野投手からデッドボールを受けて、マウンド付近で大暴れして退場処分となったもの。バッターボックスからブーマーが血相かえて走ってきたらホント怖いだろうなあ~。
ちなみに、ブーマーは、高校時代アメフトもやっており、真剣にNFL入りを目指していたそうです。
デッドボール → カーっとなってマウンドへの疾走というパターンは他にもあって、なつかしの平和台野球場で開催されたロッテオリオンズ戦でマウンド目掛けて走るシーンは、湿布薬「パスタイム(祐徳薬品工業株式会社さん)」のCMにも使われました。
右打席で構えるブーマー。すっぽ抜けのボールが左上腕へ。
デッドボールの瞬間、マウンドに走り出します。
そして映像はそのまま薬局に駆け込み、「パスタイム下さい!」と訴えるブーマーへと切り替わります。
もちろんユニホーム姿のまま。
無事、パスタイムを受け取ると「阪急ベリーマッチ!」と答えます。仕上げがオヤジギャグで締めるという脱力CMに見事主演するブーマーでした。
引退とその後
そんな「阪急」ブレーブスも、1989年からは「オリックス」ブレーブスと衣替え。
さらには90年代に入ると「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」へ。
そして2004年には「近鉄」との合併により「オリックスバファローズ」へと変遷しますが、それはまた別な話。
ブーマーは、9年間のブレーブス生活を経て、1992年ダイエーホークスへ。
ここでも、打率271、打点97、本塁打26としっかりした成績を収めています。さすがにタイトルにからむということはないですが、97打点なんて立派です。5,6番あたりにいたら怖かったでしょうね。
もう何年かできたでしょうに、この1992年限りで現役引退。引退後は、日本とメジャーの橋渡しをしていただいていたと聞きます。日本の野球、好きになってくれた方なんでしょうね。
非常に残念なのが、外国人選手初の三冠王でありながら、殿堂入りとならなかったこと。
野球殿堂は、現時点209人。そのうち競技者表彰として殿堂入りを果たしている外国人選手は「日本プロ野球史上初の300勝投手」スタルヒン(ロシアから亡命されて日本の法律上は「無国籍」として扱われているとのことです)と若林 忠志・与那嶺要氏(ハワイ移民の日系2世)の3名だけ。
実に閉鎖的ですね。。。
さて、80年代あいうえお辞典、次回は「へ」の項。また是非お立ち寄りください。