の:野村スコープ【のむらすこーぷ】

80年代

こんにちは!セイジュン@80年代少年(@39Seijun)です。80年代あいうえお辞典、今回は「の」の項。野村勝也さん考案の野球解説ツールについてです。

野村克也さん、通称ノムさん。

1976年の南海、プレイングマネージャ時代

言わずもがなですが、簡単に経歴。

1954年のプロ入りから1980年の現役引退までの捕手・打者・そしてプレイングマネージャとしての活躍。その後、専任監督としてヤクルト・阪神、さらにはシダックスをも率い、2009年の楽天監督退任までの50年、その後2020年2月に亡くなる直前まで広くプロ・アマ野球の発展に尽力した方です。

袖を通したユニフォームは、プロ入り後だけでも、南海・ロッテ・西武(以上、現役)。ヤクルト・阪神・楽天(監督)とプロで6球団。そんなノムさんが80年代に何をしていたのか、という切り口で進めます。

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80年代、スーツ姿のノムさん

 

80年代のノムさんは、一言でいえば「干されていた」期間と言えましょう。

1980年のシーズン限りで西武を引退。そして、ヤクルトの監督就任が1990年のペナントレースから。つまり、ほぼほぼ80年代のノムさんは野に下っていた訳です。

後におしどり夫婦(あるいは恐妻家)と呼ばれることになる沙知代夫人との人ならぬ恋や、「哲のカーテン」に代表される巨人閥との関係など遠因はさまざま囁かれたものですが、あの物言いが面倒くさいと思われてた時期なのかなと思います。

ではその失われた10年、ノムさんは何をしていたか。

解説者としてネット裏・スタンドから野球を見つめていたのです。

1981年からTBSテレビ・TBSラジオの野球解説者を2年間務め、その後1983年からはテレビ朝日の解説者に転じます。

プロ野球中継では「ノムさんのクール解説」と称していました。

そして、1984年のシーズンの野球中継で現れたのが「野村スコープ」です。

野村スコープとは何か?

野村スコープ(ノムラスコープと表記するケースもあります)とは何だったのか。

プロ野球の場合、ピッチャーが投球フォームに入ると、バックスクリーンからホームに向けてのカメラアングルでテレビに映し出されます。

その際に、打席に入っているバッターのストライクゾーンを、高低・遠近の3罰で9つに分割して表示したものが「野村スコープ」です。

「とりあえず、ここに放っておけば、ファールでカウントかせげますわな」的な予言を的中させていました。コース、スピード、球種を言い当てながら、バッテリーと打者の心理戦・駆け引きを解説していました。

今では、どのチャンネルの野球中継でもお馴染みになっていますが、その元祖が1984年に考案されたノムラスコープな訳です。

再びユニフォームを。そして晩年。

この後、90年、正確には89年のオフからヤクルトスワローズの監督に就任。

セ・リーグのお荷物球団を3年で優勝に導いたのが、いわゆるID野球(Important Date、データ重視)と言われておりますが、その萌芽は厄10年に及ぶ在野・解説者時代の理論構築によるものと考えています。

さらには、阪神・楽天と決して恵まれたチーム事情とは言えない球団の監督を、あえて言えば火中の栗を拾うがごとく務めていきます。

これはやっぱり野球が好きだったんだろうなとしか思えませんね。

楽天を勇退の後、サッチーと一緒にテレビでお元気な姿を見せていましたが、沙知代夫人が2017年に亡くなり、ノムさんも2020年2月11日に逝去されました。御年84歳。

その少し前、監督して最も成功していた時代の弟子たちを前にした一枚(出典:BASEBALLKING)。この写真がすごく好きです。

 

以上 80年代あいうえお辞典、「の」の項、おわりです。次回から「は」行に入ります。