ち:千代の富士【ちよのふじ】

80年代

こんにちは!セイジュン@80年代少年です。80年代あいうえお辞典。今回は「ち」の項。80年代で「ち」で始まるといえば大横綱「千代の富士」しかありえません。

80年代で大相撲・大横綱といえば、千代の富士で決まりです。ほんと、強かった!「終わってみれば(今場所の優勝も)千代の富士」というNHKアナウンサーの名セリフもありました。まずは横綱までの道のりから振り返ってみましょう。

スポンサーリンク

千代の富士:横綱までの道のり

70年に初土俵(中学3年生!)、75年に新入幕。

70年代後半は小結まで昇進するも脱臼癖があって、十両まで番付を下げたりと決して順風満帆な相撲人生の序盤ではありませんでしたが、81年1月場所は関脇として優勝戦線へ。

北の湖と14勝1敗で本割を終えて、優勝決定戦。

右からの上手出し投げで初優勝。

すごいですよね、この時のTV視聴率65.3%で位までに大相撲中継の最高記録だそうです。

3月場所で大関、そして7月場所で2度目の優勝と共に横綱に昇進です。

千代の富士:31回の幕内優勝

その後、1991年の引退まで幕内優勝が31回(歴代3位)。

そのうち、1989年の9月場所までの80年代でなんと29回。85年は4場所、86年は5場所ですから。もう無敵・無双ですね。

幕内最高優勝:31回(歴代3位)
1981年 1月場所、7月場所、11月場所
1982年 3月場所、5月場所、7月場所、11月場所
1983年 3月場所、11月場所
1984年 11月場所
1985年 1月場所、5月場所、9月場所、11月場所
1986年 1月場所、5月場所、7月場所、9月場所、11月場所
1987年 1月場所、7月場所、11月場所
1988年 5月場所、7月場所、9月場所、11月場所
1989年 3月場所、7月場所、9月場所
1990年 1月場所、11月場所

テレビで見ていても本当にほれぼれとしました。

ウルフと呼ばれた鋭い眼光。

うっすらと日焼けした精悍な肌。

今時は、テーピングやらサポーターやらでぐるぐる巻きですが、この時の千代の富士は、まわし一つでした。そのまわしも黒でしぶくてね。

立ち合いから速攻の攻めで、つねに相手のまわしをとって一気でした。ほんと、強かった!

89年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成。

そして、大相撲で初となる「国民栄誉賞」をがを受賞します。

千代の富士:80年代以降

91年5月場所、初日に貴花田に敗れ、3日めの 貴闘力に敗れて引退を宣言。

あの有名な「「体力の限界!…気力も無くなり、引退することになりました…以上です…」というふり絞るような引退宣言となりました。

本当ならまだまだできただろうし、それこそ優勝もあと数回は、、という散り際でした。

今もTVの辛口解説で有名な北の富士さんが九重親方で、ここまでの大横綱なんだから一代年寄「千代の富士」親方の誕生だろうなあと思ってたのですが、兄貴のように慕っていた北の富士さんと入れ替わるように九重部屋をついで、その後も後進の指導に。

そして、2016年61歳の若さで死去。ああ、千代の富士。

80年代あいうえお辞典。次回は「つ」の項です。